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2016年02月17日

富士宮のマチに鉄板焼き店が多い、その理由。

富士宮の住民が愛してやまない鉄板焼き(富士宮やきそば、お好み焼き、しぐれ焼き、ホルモン焼き、他)。なぜこのような地域特有の食文化、個性的な食習慣が生まれたのか。その背景について簡単に説明しよう。

「戦後に広まった」という富士宮の鉄板焼き店。
はじまりは駄菓子屋の一角で焼いていた「お好み焼き」で、下記のような要因が重なりあい反応しあい。
昭和後半という時代の流れに沿って、生活に根づいたようだ。

1)
製紙業が活発な地域で働く女性がたくさんいたこと。
(オーミケンシ株式会社との関係)

2)
駄菓子屋などで安くてお腹を満たすものが求められたこと。

3)
洋食への憧れや珍しさから、ソース味がブームだったこと。

4)
子育てや畑仕事をしながら女性ができる内職的な商いだったこと。

5)
キャベツやネギなど地場野菜が手に入りやすかったこと。

6)
浅間大社の門前町だったこと。露天商などと馴染みであったこと。

かつては、富士宮で「お好み焼き」などを出す鉄板焼き店は「洋食屋」と呼ばれ、とても親しまれていた。
今でもお好み焼き店のことを「洋食屋」「洋食焼き」と呼ぶ御年配の方がいるけれど。
その言葉は、当時を懐かしむ温かさに満ちている。

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